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2007-08-16

今次夏季休業期間中は…

 休みが無い。

 高校教員をしていると…。

 専任の先生ならば、約2週間程度。
 非常勤講師ならば、約6週間もの、夏休みがあるはずです。非常勤の先生はその間に塾の講師をやったりして、凄い人は100万円位稼いでいるそうです…。そりゃそうだわな…現役教員で3年程度の経験がある人になると、出す方としても1時間に5千円は当たり前だし。

 ところが、私にはその話しは縁遠いものでしかありません。

 まず、1週間は夏期講習が当たっていたので、消えました。
 また、1週間は行事関連の為に消えます。

 さあ、これで残りは4週間。
 半週間は合宿で飛び去り、4週間半は単位取りの為に消え去ります。
 さらに1週間は研究の為になくなります。

 これで−2週間が残高。つまり、オーバーラップしていることがあるからですね。

 おかげで、写真すら撮り歩いていないです。
 今日はちょこっとだけ散歩しようかな。(夕方からまた授業があるのですけどね)
09:32:25 - jupiter -

昨日は終戦の日でした。

 昭和20年8月15日

 言わずとも知れた、終戦の日である。

 昨日は非常に暑い終戦の日だったようですね。
 館林なんて40度以上もあったとか。

 本当の終戦の日(昭和20年)も暑かったと聞いています。

 私の母はまだ小さかった(1歳)ので、記憶には殆どないそうですが、父は鮮明に覚えているそうです。それはそうですよね。国民学校の生徒だった父は、学校帰りに艦載機(グラマン)が飛んできて、機銃掃射で狙われて一目散に逃げたことが何度もあったそうで…。
 それに、帝国全土に米軍が来ると…色々笑える話しが多かったようです。戦争が終わってしまえば、庶民なんてそんなものですよね。近代戦争においては、戦争責任を負うはずが無いのですから。

 ただ、可愛そうだと言ったのは、満洲からの引き揚げ者やシベリア抑留者のその後だと言っていました。考えてみれば罪も無いのにひどい目に合わされたのですからね。

 北満に出た人達なんか、何にもない曠野を開墾し、農場にしたと思ったらソ連に分捕られて丸裸になってほうほうの体で逃げ帰ってきたそうだし、シベリア抑留なんて、ソ連のそれもスターリンの言いがかりも良いところで、不当な戦時利得でしょ!返せって言いたい。
 戦勝国を標榜するならば、連合国扱いになり、当然に大西洋憲章を守らなければならない立場にあるはず。だから、米国だって沖縄は信託統治の扱いにし、日本に返還したしね。ソ連の継承国であるロシア連邦は、当然に南樺太と千島を返還しなければならないはずですよね。

 第一、南樺太にしろ、千島にしろ、日本が侵略して分捕った土地ではないでしょうに…。侵略したのはロシアの方でしょう。これだけははっきり
させておかないといけないね。

 近藤重蔵や間宮林蔵の北方探検は、ロシアの脅威もさることながら、清国との北方国境の確定と、日本帝国の北端の確定(当時は領土の境目については国際的に曖昧でしたからね)という意図があったからですね。そして、樺太ラッカ崎に日清国境の海峡(間宮海峡)を確定した碑を立てたのです。このころはロシア人なんて人っ子一人居なかったのだしね。本来において、樺太島は日本のものだということがこれから分かるわけで。第一松前藩領地だったし、上知で幕府直轄になったりしたところだしね。

 あと、いわゆる「慰安婦」問題だけど、実際に軍隊に居た人から聞いた話だが、そもそも強制していなかったし、当時の常識として、日本の内地人は内地人の遊女としか遊ばなかったそうで、戦争が激化した時はそんな遊びをしている程の余裕は全く無かったそうです。
 それに、当時はいわゆる遊女という職業が公認されていたので、国家賠償を求めることは筋違いなんですよね。知ったかぶったアメリカの弁護士が今の尺度で物事を言ってもらっては困るんです。今の尺度で物事を言うのであれば、日本は南樺太はおろか南洋群島、南極まで返還されなければならないのです。開拓投資の額を返して貰わなければならないし、マーシャル群島の人たちに戦災補償(軍属などに払われている国債)を交付してあげなければならなくなります。それに、アメリカの空爆で死んだ人たちの市民に対する賠償もしてもらわなければならないし、朝鮮半島では、財産を取られた「親日派」の人たちに財産が返還されなければならないことになってしまいます。(合法的に取得した財産だし、ちゃんと商売などで儲けたのですから、当然でしょう)

 だから、当時の常識で裁かなければならないのです。罪刑法定主義というものだしね。どうしても強制連行されたというのであれば、連行した実行犯とその元締め(少なくとも国家ではないです)を刑事告発しなければなりませんね。


 あと、終戦の日ですが、100年を目処に弔いあげになるのでしょうか?そろそろ遺族もかなりの高齢になり、意味合いが変わってきていますからね…。それと、A級戦犯(つまり思想的、指導的な戦犯)の靖国合祀は再検討の必要はあるでしょうね。「戦死」したのではないのですし、彼らの酷い作戦の為に散華した軍隊関係者が祀られているのであるから、有る意味において場違いでもあるのは否定できないしね。
 裁判によって処刑された人は別の所に祀っておく必要がありますね。言いがかりに近い処刑もあったのは事実だけど、こと靖国って戦争で死んだ人を祀るところだし(だから、千鳥ケ淵の墓苑もあるでしょ?)。

 難しいことを考える日が終戦の日なんですよね。
09:31:45 - jupiter -